論評の批評

海外にまできて「自分探し」を公言している連中が迷惑な件について 「日本には魅力がない」って言ってる奴、お前に魅力がないだけだからな - 山本 一郎
https://blogos.com/article/387333/

こちらの記事について批評をしたいと思う。(練習用に)

こちらもたまたま見つけた記事なのだが、この記事が文春オンラインのランキングトップ5になっていたので気になって読んでしまった。

結果としては、タイトルがキャッチーなので読んだが、自分のことを棚に上げて論じているという非常に浅い記事だったのでとても残念だった。

1. 海外にまできて「自分探し」を公言している連中 という主語が広すぎて全く特定できない。

アメリカにいるときに思いついた記事なのだろうが、どこにいてどういうことをしている人が自分探しを公言している連中なのかが、記事のどこを探しても全く特定ができない。
さらに、わたしが思うに自分探しをしているような人は語学学校とかバックパック、またはワーホリ等している人の割合の方が多いと思うのだが、現地でしっかり働いている人を揶揄している。

そもそも「自分探し」を公言している人は著者が勝手に想定していないだろうか。根拠もないのに、不特定多数に向けた浅い内容は全くメッセージ性がない。

2. 要点が感情的

海外に住んでいる日本人は、日本で懸命に働いている俺たちを見下している – そんなのはけしからん。といいだいのだろう。筆者がたまたま出くわしてしまった個人(もしくは何人かの人)にたまたま日本を批判する類のことを言われ、自分自信も否定されているように思ってしまい自分を守るような記事を書いたのだろう。そしてこういう記事に飛びつくような「連中」も想定できる。(実際にコメント欄をみるとわかる。) 海外でカッコつけてるおまえより俺の方がおもしれえ人間だからなめんなよ、と。

実際は、海外にいるからと言い、日本にいるからと言い批判は出るに決まっている。むしろ批判がないような社会は、健全とはいえないのではないか。それは民主主義として基本中の基本だが。

多分筆者が実際に海外に長期間住んだことがないのでわからないのだろうが、海外に住み、働くというのはそう簡単なことではない。移住費も相当かかるし、給料も日本より低かったり、差別も受けたりする。(特に白人社会では) 欧米コンプレックスだろうだがなんだろうが、それでも挑戦して現地に生き残る人は生き残るのである。

そのデザイナーはただ日本を否定していたようだが、その発言にカッとなるのではなく建設的に話すべきであった。そもそも、この程度のことで「海外に来て日本人や社会の批判をするな」というのは己の自信のなさの現れでもある。カッとなってしまったらそこには亀裂しか生まれない。そこがちゃんとしたジャーナリズムと筆者の大きな違いである。視点が非常に狭い。


3. こういったコラムで、不特定多数の否定だけをする文章はもはや必要がない

上記に示したように、単にその出来事を述べる程度の何の進展も解決策もない、他者を否定するだけのような記事は必要ない。インターネットにはそういう記事が多すぎる。
どれくらい存在するかわからない、むしろ本当にいるのかどうかすらわからない不特定多数の他者を叩くことは、事実に伴わない勝手な常識を生んでしまい社会に亀裂とヘイトを生じさせる不利益極まりないことだと考える。

政治的意見が右でも左でも、日常で意見がちがっても相手を叩くだけというのは全く意味がない。それは原理主義者と同じで、白人だからいいとか、日本人だからいいとか、そいう根拠のない単純思考に陥ってしまう危険性がある。幕末の日本と同じように、今向かうべきはお互いを叩きあう事なのかと、よく考えて記事を書いた方がいい。


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