自由と平等 John Rawlsと現実 2
John Rawlsはほかにも名著を出しているが、わたしがしっかり読んだのは正義論だけなので、グローバル化が加速する世界でいかにRawlsの理想を実現させるかということは、ほかの本に記されているとのことである。
しかし、実現することと哲学とは異なる分野なのである。やる方は国際関係、協力などいろいろな名前で呼ばれているが、その人たちがどのような理念(哲学)を持っているかはまちまちである。それ故に、理想と現実にはかなり差がある。
日本はどうだろうか。ルールは守るが変化を嫌う国なのだろう。相変わらず、自由主義的で目先の経済そして経済のパイ(合計)のみを評価し、海外からの融資を増やそうとする。といっても、世界的に観て賃金も安定している(ほう)で格差も小さい(ほう)で、実感がそこまでわかないのかもしれない。しかし、自由主義のツケは、次期さらに大きくなってやってくるだろう。
そのような状況の中で、宇沢弘文氏のような人間の信頼関係や社会的共通資本の経済学を基盤にした活動が国内で広がっているのを耳にした。(宇沢氏は新自由主義の提唱者であるミルトン・フリードマンの同僚で意見対立していたという。)そういった活動が広がっていけばよいと願っている。とくに、日本社会に適切であるのではないか。
様々な考えがある中、Rawls主義、国際社会やそれぞれの国の念頭にいれてほしいものである。
しかし、実現することと哲学とは異なる分野なのである。やる方は国際関係、協力などいろいろな名前で呼ばれているが、その人たちがどのような理念(哲学)を持っているかはまちまちである。それ故に、理想と現実にはかなり差がある。
そう思わせることは、学校の外にでればたくさんある。イギリスの社会は外から見ると医療体制(National Health Insurance)が整っており、市民の考えも成熟しており、移民も受け入れ、経済も為替も安定しているように見える。(これは私の最初の印象であった)実際は、超格差社会で保守的な社会であった。
格差は、街に出ればわかる。まずは物乞いとホームレス。ホームレスは中高年男性という印象があるが、北部の都市では白人の若者が凍えそうになりながら紙コップを目の前に置きお金を待っている姿が目に入った。それから、バスに使用済み、期限切れのチケットを使ってただ乗りしようとする人も、よく見かけた。本当にお金に困っている人がたくさんいるという印象を持った。(2013年マンチェスターにて)
格差は、街に出ればわかる。まずは物乞いとホームレス。ホームレスは中高年男性という印象があるが、北部の都市では白人の若者が凍えそうになりながら紙コップを目の前に置きお金を待っている姿が目に入った。それから、バスに使用済み、期限切れのチケットを使ってただ乗りしようとする人も、よく見かけた。本当にお金に困っている人がたくさんいるという印象を持った。(2013年マンチェスターにて)
イギリスのジニ係数は2012年の時点で0.34(1)と非常に高く、世界の不平等な途上国の国々の上位を走っている。また、地域では宗教や文化によって住み分けが著しい。肌の色で職業差別などはもう存在しないであろうが、移民が入ってきたことで職が奪われるということで移民にたいしてあまりよく思わない人もたくさんいる。イギリスに入るときの入国審査が年々厳しくなるのもそういった声を反映してかもしれない。
しかし、イギリスは各地でデモが盛んに行われており、環境、職の安全にかんしては関心が高く、労働組合も日本よりはまだ効力を持っていたりとヨーロッパならではのところがうかがえる。
しかし、イギリスは各地でデモが盛んに行われており、環境、職の安全にかんしては関心が高く、労働組合も日本よりはまだ効力を持っていたりとヨーロッパならではのところがうかがえる。
ギリシャをはじめとしたヨーロッパの金融危機はさらにRawlsの理論をより不可能にしているのではないかと思ってしまうほど、ヨーロッパは安定していない。私はその不況のまっただ中に、経済状況が3番目に危ないイタリアを訪れた。最初に目に入ったのは、職業のすみわけである。肌の色がある人でイタリアで第一線で活躍している人というのは滅多にみることができない。
また、現地の人が外国人に対する偏見をもっていることが多い。移民を追放するという超右翼の政党が根強い人気を誇っていることがそれを表している。失業率は今現在13%で南部に行くと20%をこえるところもある。ほとんどの人々は脱税をしており、政治のあらゆるところで暴力団が介入している。(マフィアだけではなく今はほかの暴力団が勢力をもっている。)
極めつけは、「イタリアにそんな法律があったって憲法があったって、みんなルールを守らないよ」と友人に言われたことである。イタリアに限ったことではなくどこの社会でも超個人主義が当たり前で他人のことを信用できないようならば、Rowlsが行っているような法も義務も意味がないように思える。
また、現地の人が外国人に対する偏見をもっていることが多い。移民を追放するという超右翼の政党が根強い人気を誇っていることがそれを表している。失業率は今現在13%で南部に行くと20%をこえるところもある。ほとんどの人々は脱税をしており、政治のあらゆるところで暴力団が介入している。(マフィアだけではなく今はほかの暴力団が勢力をもっている。)
極めつけは、「イタリアにそんな法律があったって憲法があったって、みんなルールを守らないよ」と友人に言われたことである。イタリアに限ったことではなくどこの社会でも超個人主義が当たり前で他人のことを信用できないようならば、Rowlsが行っているような法も義務も意味がないように思える。
日本はどうだろうか。ルールは守るが変化を嫌う国なのだろう。相変わらず、自由主義的で目先の経済そして経済のパイ(合計)のみを評価し、海外からの融資を増やそうとする。といっても、世界的に観て賃金も安定している(ほう)で格差も小さい(ほう)で、実感がそこまでわかないのかもしれない。しかし、自由主義のツケは、次期さらに大きくなってやってくるだろう。
そのような状況の中で、宇沢弘文氏のような人間の信頼関係や社会的共通資本の経済学を基盤にした活動が国内で広がっているのを耳にした。(宇沢氏は新自由主義の提唱者であるミルトン・フリードマンの同僚で意見対立していたという。)そういった活動が広がっていけばよいと願っている。とくに、日本社会に適切であるのではないか。
様々な考えがある中、Rawls主義、国際社会やそれぞれの国の念頭にいれてほしいものである。
(1)The Equality Trust http://www.equalitytrust.org.uk/resources/multimedia/infographic-income-inequality-uk


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