自転車泥棒 Ladri di Biciclette(1948)

映画をこよなく愛する人なら一度は観たことがあるであろうこの映画。観たことがない人へは強く観ることをお勧めしたい。ネオレアリズモの代表的な映画の中の1作品であり、第2次世界対戦直後のイタリア社会を率直に「アート」として映し出している。

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第2次世界大戦後のローマ。アントニオ・リッチは、貧しい暮らしの中、やっとのことでポスターを貼る仕事のオファーをうける。その仕事には自転車が必要であり、家の中のお金になりそうなものを詰め込みお金に換金しやっとのことで自転車を手に入れる。やっとのことで手に入れた仕事。さあ、いよいよ仕事が始まる。アントニオ・リッチの悲劇の始まりはここからであった。少し目を離した隙に自転車を盗まれてしまったのである。アントニオは街中を必死に探しまわるが、そう簡単には見つからない。息子も一緒に探すことになるが、なかなか見つからない。

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物語は、実にシンプルで重い。ネオレアリズモの特徴である役者は素人であるということをいっさい考えさせない、演技力と緊迫感がある。それぞれの役者の表情は特に印象的である。息子の父親に対する心配そうな態度、父親の焦り、父と子のやりとり。まるで本当の親子のような掛け合いである。


ネオレアリズモは映画を通してファシズムに対抗することを目的とした社会のムーブメントであった。通常、映画を観るときはその作品のメッセージを観ている側は読み取ろうとするが、この作品から読み取れるのはメッセージというよりも貧困で生きるという現状を見せられていると感じ取れる。それが、ネオレアリズモの特徴である。しかしながら、この運動は1944年から52年までと、そう長くは続かなかった。当時、第二次世界大戦後の世界では冷戦がおこっており、ヨーロッパでは共産党を弾圧する動きが強まっていた。この映画もその対象にあたり、当時は上映を禁止されていたようだ。ネオリアリズモだけではなく、このたぐいの映画は政府からの圧力により上映が禁止されていた。資本主義が登場し、イタリアも高度経済成長の流れにのってイタリア社会に対する社会的批判が少なくなったのだろうか。


現代では、映画は娯楽の要素が大きく、何かを伝えたくて、世の中を変えたくて、という映画はなかなか見つからない。(というよりも、報酬が得られないのであろう)ドキュメンタリーがそれにあてはまるかもしれないが、物語を通じて社会に対抗する映画というのはあまりない。時代の移り変わりのせいか、あまり世の中に出回らないように仕組まれているのか、人々が社会に対する興味を失ったのか、どれにでもあてはまりそうである。

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